有馬自由氏インタビュー

「今は楽しい、本当に。芝居の稽古が始まって千秋楽まで、それが続くといい なあ」
有馬自由

文学部社会福祉学科88年卒業。善人会議(現・扉座)入団。劇団をしょって 立つ看板役者のひとり。ひょうひょうとした好青年ながら、難役もこなす。最 近は、請われて外部へ客演することも多く、1年中稽古と本番に追われる。

インタビュー構成 西尾 雅(農学部農芸化学科74年卒業)

−− 初めて見た「ヨークシャーたちの空飛ぶ会議」(1)に「これだっ」っ て思いました。
有馬 横内(2)さん作品は、好きな人は本当に来てくれて、ダメだというな 人は全然来えへんで「それはとてもええことやな」と思うんです。完成度は あっても嫌いとかってありますから。その頃は、25くらいの時で、劇団入っ て1年目で、いきなり主人公というか。ちょうど3月に府立大学を卒業して、 一応ちゃんと卒業したんですよ、色んな先生が「しょうがないなあ、レポート 書いて来いよ、そしたらやるから」ゆうて。卒業するつもりで、5回生のとき に試験受けて卒論書いて「よし足りた」と思てゼミの先生とこ行ってお茶飲ん でて先生と計算してたら「あれ足りんぞ」。何とか卒業して、大学の近くにあ る画材屋で就職するつもりだったんですけど、たまたま横内さんの戯曲を読ん でたんで、話の種に受けてみよかいなと。就職するつもりでいたから、急に今 日進路変更ゆうことになって、4月の終わりか5月の頭に上京、その頃から劇 団もバタバタ(公演が)増え出して、その年も3本くらいやって、初めての関 西公演がこれだったんです。それまでは関西に来たことなくって、僕も見ずに 入っちゃったっていうふざけた話なんですけど、学生の頃に学校のサークル じゃなく学外の友達とお芝居を無門館(3)でやってて、当時あこがれのオレ ンジルームとか扇町(ミュージアムスクエア)(4)を目標にやってたんです けど「こらもう、どうにもならんな」って解散したもんで、東京出たら1年で 違うカタチで、目標がかなってしまった。
−− 横内さんの戯曲が好きだった? 
有馬 おもしろかったですね。受けたのは善人会議(5)だけ「俳優になりた い」と思っていなくて、お芝居もものを作るのがおもしろいから。画材屋ゆう のも額縁作ったりデザイナーの下請け仕事の工房の方。学生の時にやった劇団 は、作家がいなかったんです。毎回毎回公演の度に何をやるか稽古場で考えて 「作家がいりゃ、こんなに楽なことはない」。始めた時は鴻上(6)さんみた いな、物語というより詩の世界みたいなのがブームでしたから「おしゃれだ な、カッコイイ」。イージーな動機だったんですけど、やって行くうちにちゃ んとしたお話、ちゃんとした人物、ちゃんとしたお芝居がやりたいと。ちゃん とした作家てゆうと鴻上さんがちゃんとした作家やないみたいですから、 ちょっと違うんですけど。20歳過ぎてから「お芝居っておもしろい」て思い だしたものですから全然見てないし、労演に3カ月限定で入って無名塾や民芸 を見たんですけど「物語作家がいるといい」という思いがありまして、でもま さか既成の養成所にお金払ろて入るつもりもなかったですし、ちゃんと完成し た劇団ていうつもりもなかった。たまたま横内さんの戯曲が「えっ」。僕が2 4の時に、26でもう「曲がり角の悲劇」(7)とか書いてましたから。
−− オーデションを受けたんですか?
有馬 オーディションあるってんで、劇団プロフィール見たら平均年齢がちょ うど23歳くらい。一緒に芝居やってた仲間で、僕が上京する1年か2年前く らいに、学校やめて遊眠社や秘法零番館(8)に入った奴はいたんです。映画 撮ったり演劇やったりして、けっこう芝居もおもしろいし「イケるわ」と思っ てたら何のことはない1年で辞めて「やっぱり難しいのかなあ」と思いなが ら、ひょいと受けたら受かっちゃいました。今思っても、ラッキーだった。そ れまで善人会議が小人数でやってのが、ちょうど色々新しい血が入って来てた ところで。
−− いちばん最初の役は?
有馬 「新羅生門」初演の桃太郎です。それもすごいラッキー。僕が上京して 稽古に参加した時は、もう通し稽古やってたんですよ、桃太郎は別の役者さん がいて。その人が具合悪くなって降りちゃったんです。「じゃ、誰が出来 る」ってんで、その時、役についてない僕に「じゃ、お前だ」。何にも事情わ からずに上京して、まだ荷物も届いてない時に、参加して3日目に桃太郎やっ て、それがデビューでした。 −− 「ヨークシャー」を見たときは、もうすっかり劇団に溶け込んでらし た。
有馬 それは周りが上手だったんですよ。そういう構成になってた。
−− それでいて、若さがあった。
有馬 年はねえ、六角精児とか岡森諦(9)とか、その時点で劇団作って6年 くらい経ってましたから劇団での苦労が違うし、あの人たちは高校時代から やってましたから。僕は学生時代に劇団やってても、俳優でやってるのは1回 か2回。あと裏で、音響で音楽探したりとか、劇場入って現場でごちゃごちゃ するのが非常に好きだった。だから、ちゃんと俳優になりたいと思って出たわ けじゃなくて。
−− さきほど大学5回とおっしゃられたのですが、それはお芝居をされて て?
有馬 最終的にはそうなりますね。4つ上の兄貴がいて、高校時代から「大学 入ってコンパしてみたいなのがすごく嫌い」で、いいイメージがなく、かと いって「働くのもっと嫌い」そういう理由で大学入って。1年間浪人して浪人 生活の時代から遊び倒してたんで、共通一次を受けてみると「えらい点数が取 れなくてやばいな」。それで入ってんだから、京都府立大学に失礼なんですけ ど(笑)。一応現役の時は、成績まあまあだったんで。それで「どうしよう、 金沢大学に行くか」って考えたんです、金沢行く動機ってのも食い物がうまそ うだ、親父がワリと酒飲みで金沢が好きで「食い物うまいうまい」。きれいそ うだし「お城ん中に学校がある」とか言ってたから、「こりゃいいな」。で も、その頃仲の良かった高校時代の時の友達が「金沢行くと、映画なかなか見 れへんのちゃうか」。わりと映画好きだったんで、京都しか来ない自主上映も あったり「そりゃ、やっぱり京都の方で」。しかも、1年浪人して親もお金あ まりないですから、安いところでって探してたら、京都府立大学って、めちゃ めちゃ安いですからね、早稲田とか私学の1年の学費で京都府立大学は5年い けますからね、充分。で「こりゃいいな」。社会福祉って、これは後付けなん ですけど、おふくろが学校の先生やってて障害児教育をずっとやってたりした んで。そんな動機で入ってますから、1年生の時に全然おもしろくなかったん ですね、なんかパロディやってるみたいな。今思うと「もったいないことし た」って思うんです、だってどう考えたって環境いいですからね府立大学っ て、本当に物事勉強しようって思ったら、京大出の人が流れてくるから先生い いし、生徒数少ないし、自分でここでちゃんと勉強しようと思ったら、資料 だったら京大の書庫なり何なり打つ手はいくらでもありますし、めちゃめちゃ いい環境で、植物園の隣でそばに鴨川が流れてて、僕は春夏秋冬、年に4回く らいしか学校に行かなかったんやけど、行くと感動する。色が変わる、春は桜 で緑で、冬は冬ですごいきれいで。
−− その頃の、お住まいは?
有馬 生まれた時から入るまで長岡京だったんですけど、家の事情で伏見に兄 貴と二人で下宿してて。2年生の時にやめるつもりで行かなかったんですね、 だから単位0だったです、でも「行っとかんと」ということになりまして、2 年生から3年生の時に留年があるじゃないですか、2年生の1年間で「1、2 年の単位を全部取らなきゃ」。全部取ったんですよ。今でも覚えているのは、 フランス語の授業があってABCもまだ読めない、出てないから。でも読まな きゃいけない、1頁やるのに毎週徹夜。最初から「何だこれ」って全部ひかな きゃいけない。でも何とか4年で卒業出来る環境だったんですけど、その時に は芝居始めてて、こちらの方がおもしろくなってたんで「じゃあ、1年猶予で いいや」。
−− じゃあ、高校演劇の経験は?
有馬 全然ないです。高校の演劇部って女の子が2、3人で音楽部の隅の方で 暗い顔して本を読んでる、そういうイメージしかなかったもんで。それでこっ ち来てから、こんな盛んだって、横内さんたちがそうだし。実際に「母校の演 劇部あるんかいな」と思って尋ねて行くと、一応あったんですけど、担当の先 生に聞くと、こっちだと都大会とか関東大会とか全国大会があるんですけど、 京都府だと「それに参加していない」。
−− BSでやってますけど、高校演劇って上手でびっくりしますね。 有馬 こっちの方は情報も盛んだし、多いし。(京都では)全然なかったし、 年に1回演劇鑑賞とかいって勤労会館に連れて行かれて、何だかわかんないけ どやってて、ようくようく見てたら「これは労働問題の話なのだな」。(笑)

−− 有馬さんの動きの軽やかさが好きですね。
有馬 それはやっぱり来てから。後付けで思ってることですけど、子供の頃に テレビで毎週やってた吉本新喜劇とか藤山寛美さんとか、土日は3つ4つ見て た。あと、漫才も好きでした。
−− でも、それを人前で出来るというのは、それだけのものがないと。
有馬 ダウンタウンが始めた頃「ツッコミのタイミングの掛け合いをお芝居 に」ってリズム感あったじゃないですか、第三舞台(6)とかの世代の演劇 で。たま〜に帰って来たら、阪急電車乗った女子高生の会話が、すごいいいテ ンポで「こいつら、なんで上手なんやろ」と思てしまいますよ、笑ろてしまう 時ある。「なんで君らの会話には見事にオチがあるんだ」。「君ら普通の女子 高生やろ、なんで君らそんなオトせるんや」。「日常会話にオチがない」ゆう のは気持ち悪いというのが、どっかにあって、東京行った時に「なんでこいつ ら、オチない会話平気で出来るんやろ」。
−− 有馬自由というのが本名なのはすごいと思います。
有馬 親父がひねらない人で、ちょっと変わり者なんでしょうね。何も考えて いなかったんでしょうけど。普通は自由って意味をこめて、違う名前をつける じゃないですか、そのまんまですから。両親とも公務員だったんですけど、二 人とも働くのが嫌いで、イヤでイヤでしょうがなかったらしくて、僕が大学生 の時には二人ともさっさと仕事やめてました。50歳くらいで「もういやだ、 もういいだろ」。だから、2回生から5回生まで僕、保険証持ってなかった。 親父が辞めちゃって「保険もわしゃいらん、入りたかったら自分で入れ」。だ から「就職しろ」という台詞は、僕も兄貴も両親から一度も聞いてない、二人 とも働くのイヤだったから、子供にもそれだけは言わなかったですね。ただ 「勉強しろ」いうのは今でも言われます。「横内さんは、よう勉強したはるん やから、それをやるお前らはもっとちゃんと勉強せなあかん」今だに言いま す。文学部の池田先生って、ご存じですか。僕らのころ文学部長で親父のたぶ ん1期か2期下で、文学部長が親父の先輩やったもんで卒業出来たゆうのは 「かなりある」。(笑)4回生の時に「お前、あの有馬の息子か」。
−− そういうお父さんお母さんのいる家庭は?
有馬 どうなんでしょう、やっぱり、子供の頃は、すごいイヤでした。「よそ の家はあるのに、なんでうちはクリスマスがないんや」「こいのぼりがないん や」ゆうてた覚えが。そういうことに頓着のない家庭やったんで。「なんでこ んな変な名前なんや」「普通がええ」ゆうて「わしゃ一郎とかがええ」て、昔 はゆうてたし、どっかでずっと。
−− でも、この名前で通されてるのは、気に入ってらっしゃるから?
有馬 迷ったんです。田中一郎にしたろかと本当に、山田太郎でもいいし。で も、これで出てしまうと芸名にみられるじゃないですか、これ親がつけたから しょうがないですけど、自分でつけたらセンスのない名前ですよ。
−− いえいえ。
有馬 自分で、自由って「おいっ!」「ひねろうぜっ」。やっぱり、感じます 「本名やったんか」。そん時の顔色見ると「センスない奴っちゃな」と今まで 思とったんや。大人計画(10)の宮藤(官九郎)クンと一回一緒に「夜曲」 (11)でやって、その後で「自由が本名や」ゆうのが松尾(スズキ)さんに すごい受けちゃって、芝居の中で自由ゆう名前が使われたらしく、全然知らな い人から「あなた大人計画に出てたよ」と言われて「いや、出てねえょ」「い や、あなたの名前が3回くらい連呼されてたよ」。(笑)
−− 東京へ出られて劇団生活を始めてからのギャップは。
有馬 ありましたね。もともと集団でって得意じゃないですし。体育会にも運 動部にもいなかったし、やっぱり体質にないし、京都でやってる時は「みんな が目一杯やらなきゃ」ですけど、そうじゃないところで最初とまどいました。 稽古中はつらくて「もうこの芝居終わったらやめよう」てのは、しょっちゅう ありました。けど、本番入っちゃうとやっぱり楽しいんですね。見てくれが軽 薄だかにら、わりと明るい役を振られるじゃないですか、ところが稽古はつら いわけですよ、全然出来ないから。で、暗めの役やってる人がいると「あっち の役がいい。あっちの役の方がいい」と、ずっと思ってました。「あっちの役 だったら、少々つらい稽古でも耐えられる気がする」。稽古つらいのに、笑わ なあかんとか。今ほど劇団に余裕がなかったから厳しいというか、劇団全体の 実力を上げなきゃって時期だから、横内さんはじめ必死でしたね、やっぱり。
−− その頃、劇団が変わりつつあった?
有馬 ですね。僕が入った年に、先輩が4人くらいやめてるし、結局今は僕の 先輩少なくなっちゃいました。入った時にはすでに20人近い劇団だったわけ だから、上に先輩が10数人いたはずなんですけども。
−− 最近は、客演も多いですが。
有馬 ここんところは、声かけてもらって。ナミギン(12)なんか声かけて もらうも何も自分たちで作っちゃってますから。
−− 大阪で見れないのが淋しい。
有馬 「何とかやろうぜっ」とは言ってるんですけど。一回こっきりだから成 立するし、おもしろいことが出来る、というのが。
−− 扉座シニアとかは?
有馬 あれは茅野(イサム)さんたち。いっとき、劇団内の活性化を目指して ゆうのがあって、で、いちばん最初に「ありときりぎりす」ってのを、僕が赤 星(明光)と二人でやりだして、それから岡森さんが自分の座組んだり、茅野 さんたちがやったり、(三木)さつき(13)たちがやったり、実際役者はそ ういうことやると興行に対する責任感が出るのね。それはやって良かったな。 横内さんは助けてくれないわけですから。芝居を打つのは僕ら、学生の時に やってたから、準備することにとまどいはなかったし規模も小さいし劇団事務 所もあるし電話もあるしコピー機もありますし、恵まれてると思ったんですけ ど、そんなことより「実際に幕を開けること、どんだけその作品に対して責任 を持つか」。それは座組組んだ制作者だからというんじゃなくて、俳優として も一個の作品に、結局その時間しかお客さんに対して責任取れないわけですか ら。制作者がいくら出来ても、役者がいい加減なことしたら責任取れない。 「役者が作品に責任取るって大事なことなのだな」て感じましたね。
−− NANYA−SHIPもされてますが。
有馬 去年の暮れにやったのかな。NANYA−SHIPやってる南谷(朝 子)が「東京原子核クラブ」(14)の初演の時に一緒で、彼女も自分で座組 んでて、演出家の宮田慶子(15)さんが僕呼んでくれたりしたんで。僕が出 たときは、生演奏をやるというだけで、音楽がどうのこうのいうのでもなかっ た。アイルランドの話で笛吹きの役で、笛の練習はしたけど舞台上では吹かな かった。
−− 「ジプシー」(16)でも楽器使いましたね。
有馬 「ジプシー」は、バイオリンやってました。この間のナミギンでも。身 体全然鍛えてるわけでもないけど、なんか小器用なんです。
−− 柔らかいですね。
有馬 身体特に柔らかいわけでも筋力あるわけでもなく、100m走ったって 絶対遅いんですけど、早いフォームの真似は出来ます。

−− マキノ(14)さんの作品にも出てられますが、横内さんとの違いは?
有馬 目指すものとか大事なものは、横内さんと一緒なんでしょうけど、行く 道が違う。横内さんは、おまかせでもないんですけど、最初の大きな振り付け はしませんね、大きな目指す方向だけとりあえず提示して、あとどう言うかは わりとまかせてるみたいです。
−− それは、ずっとやっているメンバーだから。
有馬 いや、若い奴でもわりと。極端な話、へたなのはごまかしてもしょうが ない、ただ目指す方向だけ間違ってなければ伝わる。芝居見てて心動かされる のって、最終的に技術のうまい下手ではない。この瞬間の姿勢とか姿だとか、 技術じゃないところ。もちろん、そこに技術の裏づけがあってなのかもしれな いけど、あまり技術技術で見せられても、感心はしても感動はしない。去年に 友達の若い子の芝居見に行って、本当に演劇やったん初めてで「わあーっ」と がんばって、男の子がカーテンコールで泣いてんですよ。泣くほどの芝居やっ てないんですよ、そんなに出番もないし、芝居上の印象もなかったけど、 ちょっと感動してしまいました。「なんか美しいな」と思って。ああいうのっ て理屈じゃない、びっくりしちゃった。あまりに(自分が)そういうことから 鈍感に、舞台にいることと劇場にいることが日常化し過ぎてて。初めて目の前 にお客さんがいて、素っ裸になってる生の自分に向かって手を叩いてくれる人 がいるわけですから、自分でもわからんと泣いてる、「演劇って素晴らしい」 とは絶対思ってない。言葉に出来ないようなあれだったりするんだろな。 (笑)

−− 府大入った当時の演劇部は?
有馬 ありました。2回生の時に、友達のお芝居を手伝う形で、演劇というも のに触れたんですけど、その時に同級生が、ひとりだけ男の子がいて、ひとり 芝居を見に行きました。
−− 昔はけっこう演劇盛んで、当時テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動 物園」や三島の「邯鄲」をやってました。
有馬 タイトル聞くと、その当時というか、もともと演劇はそうですけど、文 学的ですよね、三島由紀夫ですもんね。今うちの劇団の20歳くらいの子に、 それ言ったって全然わかんないですもん「はあ?」。昔は演劇と文学というの は、かなり近かったはずですが、今は全然違う。岡森(9)さんとカミュの芝 居したんですが「カミュって異邦人のカミュでしょ、芝居とか戯曲もある の」。うちの親父は戯曲を文学として知ってましたもん、それがそんなに変 わったことではなかった。

−− 役者さんはどのように台詞をおぼえるのですか?
有馬 長い台詞いうのは、中学生の頃に「春は曙」って覚えたじゃないです か、あれと一緒ですよ。なんでもかんでも「次なんやったかいな、次なんやっ たかいな」って。会話になってるじゃないですか、覚える覚えないでゆうと相 手の台詞も全部覚えてないと出来ないですよね、でも考えようによっちゃ、自 分の台詞忘れても、相手がなんか聞いてくりゃ、こりゃ「はい」だったな、 「はい」か「いいえ」かはわかるわけで、わしは確かここは肯定するはずだ な、わしの役どころからいうと否定するわけない、とか。あと、それと一緒に 台詞言うとき確かこっちの方に立ってとか、これ持ってたぞとか、動きが決 まってくるとそれもあったりとか。だから稽古の進行と同時に何となくという 感じ。必死で覚えるってことはなかったですね。変な話、家で台本読まないで すから。
−− 本を持ったまま稽古することは?
有馬 今回の場合、前半僕しゃべらないんですよ、出てても。そういうとき は、台本持たなくても黙−ってりゃいい。後半しゃべるあたりには、何となく 台詞覚えてるんで、稽古がそこに行ったあたりでは台本持たないで。あとコツ は、覚えたフリして何となくやっちゃうんですよ、台本持たずに。全然覚えて ないけど「あれ、なんやったっけ」って顔してると、プロンプターついてます から、ゆうてくれるでしょ。それ2、3回繰り返してると、何となく台詞覚え たりする。ナミギンとかやってると、あそこは台本遅いんでみんな苦労してま すけど、桂憲一くんなんかよりは(台詞覚えが)圧倒的に早いです。あの人、 圧倒的に遅いんで。でも、早い遅いは関係ない。早いと変に馴れちゃう。芝居 が出来上がって行くのと、言葉がちゃんと口に付くっていうか、自分の言葉に なって行くのが一緒なのが、たぶんベスト。台本読むとか気持ちをつなげてお くとか予習は絶対必要ですけど、覚えた状態で稽古場に居ることがそれほど大 事じゃない。人に迷惑かけちゃいけませんけど。みんなが覚えているのに、自 分ひとりぼんやりとか、「どこどこ」って探してるのは、稽古場で嫌われま す。
−− 公演中テンションを維持するコツは。
有馬 あきないと心に決めることです。毎日新鮮な気持ちでいる、集中力を高 めるということなんでしょうけど。たぶん、好きな芝居だったらあきないん じゃないかな。その芝居を好きになろうというか、毎日同じってもお客さんは 毎日違う訳ですから、当然空気が違いますし、体調も違いますし、だから今 やってる芝居でも、30回くらいやってますけど、全然あきてない、毎日「あ そこ、どうしようかどうしようか」って思いながらやってます。始まってから も「今日はこんなことか」。探そう探そうとします。それをうまく言葉で言え ないですけど、例えば「ここで笑いがきたから、次をねらって」とかではなく て、シーンとしてても、自分が出てないシーンでも「いい」って思って、ちゃ んとエネルギーをもらう、それがまあ技術と言えば技術かもしれないですね。 毎日同んなじように同んなじタイミングで出るいうのも、必ずしもいいことで はない。キッカケはずしたらまずいですけどね。だから、極端な話、変えます ね毎日。出方とか歩く位置とか。人に迷惑かけない程度に自分のために。それ が許されない現場ってあるんですけど、劇団の場合はそれがある程度許される し。そうやってると発見があったりします。
−− 役が自分と一緒になってくる?
有馬 例えば、階段があるんですよね、いつも一番上から人の台詞を聞いて行 く、上がり切れなくて一段目のところで聞いちゃったら、たぶん風景ってすご く違って見えたりするわけ。当然客席から見るのと、舞台上から表現者を見る のが違うように。いつも同じようにやって同じ風景だけ見てるとね、出てる時 テンション上がって集中してますから、しゃべりながらでもお客さんが気が付 かない音も聞こえてたりするんです。目の端でお客さんがハンカチ出したりと か、座り変えたりとかするのも見えてたりする。見えたりするんですけど、自 分がお芝居するときの視界ってのは、馴れると狭くなってくる。だから、舞台 で突発的なことが起こった時には、見えてるから反応出来るんですけど、なん にも起こらない時はどんどんどんどん同じことをしようってなる。そこへ一歩 違うとなると、角度が違う、人の高さが違う、それだけで音の聞こえ方から言 葉の聞こえ方がみな違う。たぶん、教室で一番前の生徒と一番後ろの生徒で は、動きが違うのと同じようなことだと思うんです。「ずーっとここに座って て、違う席に座ったら、新鮮に思えた」その程度のことかもしれないですけ ど。言葉が違って聞こえるというのは、絶対違うんですよ、特に近藤(正臣) (17)さんが違う。それだけあの人が、やっぱりものすごいエネルギー出し てんです、ありがたいくらいに。だからものすごいエネルギーもらいます、楽 ですよ、一緒にやるのは。エネルギーもらえる人と一緒にやるってのは、うれ しくなります。勝手に出してるんじゃなくて、こっちが出したものをちゃんと 受けてくれますから。なんか変えたりしたら、ちゃんと目が合います。これ合 わない人って本当にいるんです。(変えてるのに)同じやり方で来られると 「あらら」。そういう演劇もありだとは思うんですけど。
−− それが、演劇の喜び?
有馬 だからあきないです。お客さんも含めてその場でしか成立し得ない。な んかすごいカッコイイこと言ってますね。(笑)
−− テレビの仕事の方に行けば楽でしょうけど、それが舞台の良さですね。
有馬 そら、行っちゃえれば行っちゃいたいですけど。行っちゃえないからっ て話やっぱりありますから。他に、辞めどきを失ってるから続けてるってのも あります。でも、やっぱり今は楽しいですね、本番入っちゃうと本当に。芝居 の稽古が始まって千秋楽まで楽しいし、それが続くといいなあと。
−− やっぱり劇団が好きで、横内さんに付いて行くと?
有馬 例えば外で福島三郎(12)とやってると、劇団の苦労みたいなのない ですし、ひとりでぱっと行くわけだし、色んな意味で稽古場に出ても楽です よ。その時はもちろん「楽しいな」って、やっぱり思います。けど、劇団ここ までやってく強みって絶対あるんですよね「話が早い」というか。やろうと 思っても「こんなに早くは出来ないよ」って思いがあるのと、よその方が横内 さんの作品変えてやってらっしゃるの見て「おもしろい」と思ったこと正直あ んましないんです。「なんで横内さんの本、こうやるかな−」とか「わかって ねえなぁ」とやっぱ思っちゃいます。「練習しろこの野郎とか」「いい台詞書 いてもらって何やってんだ」。いいカッコゆうと、自分たちの力で「横内さん の作品おもろい」ゆうことをわからしてやりたい。
−− 稲垣吾郎主演の「夜曲」(11)は私もいまいち、あれはやっぱり六角 さんの役だと思います。
有馬馬 あれはあれで、全然オッケーだと思います。あれキッカケにして、SM AP追っかけの人が、近頃いっぱいうちの劇団に来てくれてますもん。SMA Pを追っかけてた人が、ちゃんと僕にお手紙くれる「これで一人取った」。 (笑)
−− プロデュース公演と違う、劇団の良さとは?
有馬 同じ作家で同じキャストやから、最低保証はあると思うんですよね。出 来不出来はあるだろうけど。これぐらいは満足出来るだろう最低保証はあると 思う。それが、両刃なんですけど、最低保証があるってことは、もの作るとき に常にそこが基準になる。最低保証がなく、やることが無限にならないと理想 というのはないんじゃないか、と最近思う。うちは、再来年に20周年ですけ ども、そのころに出来た劇団ってほとんど残ってないんです、新劇は別ですけ ど。形が変わってたりとか、プロデュースシステムになってたりとか、メン バーがほとんど変わっちゃってるとか、うちは創立がメンバー4人で始めたで しょ、4人ともまだいます。それだけのことをやってんだけど、それが最低保 証ではなくて、横内謙介の本って読んだらおもしろいし、やりたくなるけど 「そう簡単に出来るものじゃないよ」「ここが一番、ここでやんなきゃ出来 ねぇんだよ」って証を立てたい。「付いて行きたい」っていうのは、横内の方 から「付いてくんなよ」です、きっと。「いらねぇよ」「重たいよ」。たぶ ん、もうそういう関係ではないと思うんです。劇団と横内さんの関係も。
−− あてがきは。
有馬 あるでしょうね、当然。劇団でやるのを想定して書いてるし、そりゃど うしたってある。あてがきっても、そいつの私生活のことを、そのまま書いた りとかそういうあてがきではない、こういう台詞言わせたら「こいつ一番光る な」とか、こういう台詞は「このメンツの中ではこいつが一番いいだろうな」 とかっていう風には、たぶんなってる。
−− 脚本家として有名なのに劇団を大事にするところは、マキノさんと似て ますね。
有馬 劇団が好きなんでしょうね。評価は高いんだけど、いまいち動員に結び つかないとこが、非常に似ているかもしれない(笑)。
−− 関西の人間には「いい話なんだけど、カタい」というか説教臭い面が気 になるのですが。
有馬 きっと、持ち味なんでしょうね。劇団の持ち味なのか、横内さんの持ち 味なのか、よくわかんないですけども。説教臭い台詞を説教臭くしか言えない 役者の拙なさってのは、きっとある。でも、それ捨ててお笑いだけで勝負した ら新感線(18)に勝てるわけないですからね。あの人達は、やっぱりすごい ですから。劇団入ったら「まず、こけなきゃ」こける練習を習得したはるわけ ですから。僕ら、そういう技術習得してないですから。こけるとこから勝負し たら、勝てないから。こけずに何かを伝える技術を考えて行かないと。

−− なぜ関西では観客が少ないのでしょう?
有馬 やっぱり人気商売ですから。知ってもらうしかない。
−− 毎年来るとか。
有馬 そういうことだと思います。ちゃんと知ってもらう努力をするというこ とだよね、きっと。
−− ちょっと違いますけど、けっこう年配の人でもNODA・MAPって、 野田秀樹(8)と深津絵里のことで知ってるんですよね。
有馬 ああいう手段もありましたね、なんかスキャンダル起こすとかね。横内 さんも、どっこかのアイドルとスキャンダル起こしたりくれりゃ。筧(19) さんが東スポ載った時に言ってたんだよ「俺がお前たちに願うのは、芝居がう まくなってくれるより、これだよっ。お前たちの誰かが、東スポの一面を飾っ てくれっ!」。絶対そういう側面あります、興行ですから。
−− 猿之助(20)さんがらみでは、取り上げられてますけど。
有馬 それがイコール扉座というのは、全然伝わってないですね。
−− 今回のように地方にツアーされてると、会場ごとに観客の反応が違って ておもしろいでしょうね。
有馬 新鮮ですよね。やっぱり教えられることが。稽古場でも、こっから先は お客さんの前に出ないとわからないなってこと、あります。お客様の前でそう いう状態の中で言葉を吐いてみて「あ、そうか。こういう気持ちになるか」と か。「悲しい気持ちに違いない」とか決めちゃうのは、「なるたけしないよう に」とは思ってます。
−− 幕が開いた瞬間に、その土地の空気を感じたりする?
有馬 ありますね。「おかしいぞ」っとか「空回りしてるぞ」っとか。(笑)

−− 大学祭の思い出は?
有馬 一回だけ出た出た。バンドやってたんですよ。軽音に入ってる友達がい て、そいつがバンド組めなくて「出えっ」つーて。そおゆうのやってたんで、 学祭のためのバンドでステージに出た。学祭の頃って、芝居の公演することが 多いんでそれくらい。(学祭は)元気なかった。僕が入る前の前の年とかは、 カルメン・マキ呼んだりして、その前の年、三田寛子呼んでた。僕の同期で北 海道出身の奴がいるんですけど、学校来た理由ゆうのが「三田寛子が学祭来た んだから、また来るだろう」。三田寛子の実家へ遊びに行って「三田寛子が 乗ってたに違いない」っていう自転車に触って帰って来た。僕が入ってから は、誰か呼ぶというのも立ち遅れてましたね。
−− 好きな役者さんとか、目指している役者は?
有馬 好きなということでいうと、とりあえず今一緒にやってる中で(岡山) はじめ(21)とか桂憲一(22)とか大好きですね。「なんで桂、二枚目の 役なんや」ねんって。初めてナミギンでやった時、桂がすごくとまどってた。 なにせ、素っぴんで人前に出たことがない。小さな劇場で、ひとりだけカ アーッて(白塗りで)塗って「何だお前、真っ白なんだ!」「なんで素っぴん で舞台出れんの?」とかゆうてた。最初、加藤(健一)(23)さんとこ出た 時、マイクゆう役やったんですけど「何がマイクやねん、何で外人の名前呼ば んなんねん」ってすごい(抵抗)あった。加藤さんのことも、そういう風に呼 ぶんですけど「加藤さんやん」ゆう感じですやん。それが、2回目となると (馴れて)あまりひっかからなくなって、ちょっと楽しんだり。目指してるっ てのは、これから年を取ってくわけで、すると角野卓造さんとか。一回一緒に やった時、なんて「カッコいいおっさんだろう」。「どうせ、おっさんになる なら、こういうおっさんになりたい」「こういう役者になりたいな」。うまい し、あんだけ守備範囲が広くて、カッコイイ。角野さんの昔の写真見ても、昔 からけっこう髪の毛やばいし、まったく同じキャラクターですもん。でも「あ あなりたい」っても同じようになっても、しょうないわけですけど。
−− 最近よく見てる芝居とか劇団は? おすすめは?
有馬 見ときたいなってのは、自分がやってる時と重なったりで、よく見るの は、やっぱりラッパ屋(21)とかお友達のところになっちゃいますね。おす すめゆうても、人んとこちゃう「まず、うちうち、うち見て」。


(1)ヨークシャーたちの空飛ぶ会議 当時はまだ善人会議と称していた扉座 の代表作。爆笑させつつも皮肉たっぷりの現代の寓話。1989年2月、扇町 ミュージアムスクエアで大阪初公演。
(2)横内謙介 扉座主宰にして作・演出を手がける。ミュージカル「魔女の 宅急便」など外部への脚本提供も多い。92年、岸田戯曲賞受賞。
(3)アートスペース無門館 長く京都演劇の中心的役割を果たす。今も、ア トリエ劇研として京都発の演劇を支援する人脈でありスペース。下鴨東本町の バス停すぐ。
(4)オレンジルーム、扇町ミュージアムスクエア どちらも大阪は梅田に あって当時の小劇場のメッカ。オレンジルームは、観覧車のあるビルの中にH EP HALLとして生まれ変わり、扇町ミュージアムスクエアも独自の戯曲 賞を設けて上演するなど、現在も動きは活発。
(5)善人会議 扉座の前身。主宰の横内謙介は、神奈川県厚木高校時代に高 校演劇最優秀脚本賞を受賞、仲間とともに1982年に劇団を結成、その後、 劇団名を変え現在に至る。
(6)鴻上尚史、第三舞台 鴻上尚史の主宰する第三舞台は、現在活動休止中 だが、1年間のイギリス留学を経ての新ユニット「鴻上ネットワーク」が始 動。現代感覚あふれるスピーディな舞台が期待できそう。
(7)曲がり角の悲劇 まだ人を殺したことのない戦士が敵国一の勇士と出会 う。優しい青年が、やがて変質する。卑弥呼を思わす女王の君臨する古代国を 舞台に熱いロマンが展開する。
(8)遊眠社、秘法零番館 夢の遊眠社は野田秀樹が主宰した超人気劇団。7 6年、東大演劇研究会を母体に結成、数々の話題作を提供して小劇場の頂点に 登りつめた。92年に解散した後、野田は劇団にとらわれないNODA MA Pとして活動を開始。秘法零番館は、竹内銃一郎らによって80年旗揚げ。竹 内は現在、佐野史郎と組んだJIS企画などを展開。
(9)六角精児、岡森諦 どちらも扉座の看板役者。憎めない卑怯な役の六角 は絶品、岡森は最近マキノノゾミ作品への客演が多い。
(10)大人計画 松尾スズキが主宰する劇団、宮藤はその看板役者。性や差 別用語が飛び交うシュールかつブラックな内容にもかかわらず、岸田戯曲賞を 受賞するなど評価も高い。
(11)夜曲 さえない青年が、少女にせがまれ、放火した幼稚園。そこから 立ちのぼる700年前の怨念や愛。過去と現実がミックスし、幻想に彩どられ る骨太なスペクタクル。劇団で再演を重ねるが、96年、SMAPの稲垣吾郎 を主演に迎えプロデュース公演されて評判を呼ぶ。
(12)ナミギン 泪目銀座。福島三郎らとともに企画するプロデュース公 演。公演ごとに役者を集めるスタイルで人気。
(13)茅野イサム、三木さつき いずれも扉座所属、どちらも美男美女。演 技もむろん文句なし。
(14)東京原子核クラブ マキノノゾミの作・演出で往時の青春群像を描 く。97年初演で読売文学賞・戯曲シナリオ部門受賞。今年、6月に再演。マ キノは、自ら劇団MOPを率いての活動も。
(15)宮田慶子 演出家(青年座)、外部演出でも引っ張りだこ。「愛は謎 の変奏曲」で御大・仲代達矢から歯に衣着せない演出と評される。
(16)ジプシー ようやく手にしたマイホームの完成が待ち遠しくて、建築 現場に足を運ぶ新婚カップル。が、そこへ侵入する一団との悲喜劇が。バブル 華やかなりし頃に、早くも自然保護を警告する作者の熱いまなざし。横内らし い社会派と叙情性が織り成すエンタテインメント。
(17)近藤正臣 横内のたっての願いにより「アゲイン」で怪人二十面相役 として、扉座に客演。
(18)新感線 古田新太、高田聖子、橋本じゅんなどテレビでもおなじみの 顔ぶれが所属。羽野晶紀も、一応まだ在籍。お笑いとヘビィメタを身上とす る、今や関西を代表する劇団。
(19)筧利夫 第三舞台で活躍。交通事故を起こし、富田靖子との交際が発 覚したことを指す。
(20)市川猿之助 歌舞伎界の異端児。古典をものながらも、創作に燃え、 後進を育てる姿は感動的。猿之助も横内を高く評価するひとり。スーパー歌舞 伎では「八犬伝」「カグヤ」が横内脚本。
(21)岡山はじめ ナミギンにも出演。ラッパ屋所属。主宰の鈴木聡がNH K朝ドラ執筆のため、今年の劇団本公演はお休み。
(22)桂憲一 ネオ歌舞伎を標榜する花組芝居に所属するため、ふだんは白 塗りで舞台に出る。シャープな演技で、圧倒的な女性ファンを持つ。
(23)加藤健一 翻訳物のコメディが得意。自身でプロデュースし、全国を ツアー公演する精力的な活動ぶり。シリアスもこなす演技に定評があるが、大 顔短足の体型をギャグにされることも多し。

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